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その他のチェックを入念に済ませ、私はお部屋を後にしました。外で待っておられたご依頼者様と合流すると、ご依頼者様が「ゴミ屋敷だったでしょう?」と仰いました。私は、ゴミがなかったことを思い出し、何と答えたらよいか一瞬、戸惑ってしまいました。そして「物量的には多いほうですね。」としか答えられませんでした。数日後、ご依頼者様より、ご連絡をいただきました。「正直、相見積もりを取らせていただきました。でも、アンカーさんに決めました。」ご依頼者様から、そうお言葉をいただき、私の心と使命感に火が付くのが解りました。作業日当日はお見積り日と同様、またしてもあいにくの雨、作業開始前に、現場周辺の住民の方々にご挨拶をさせていただきました。すると、どなたも私や作業スタッフに対し、本当に温かく迎えて下さり「テレビでやってた仕事やな!こっちは大丈夫やから、頑張ってな!」や「大変なお仕事やけど頑張ってね!」など、もったいないお言葉をかけてくださいました。そのお言葉や、アンカーを選んでくださったご依頼者様、故人にもご満足いただくために、それらがなによりも私たちの活力になります。遺品整理の作業中、数多くの本が見つかりました。それらは、タイトルから、ほとんどのものが、第二次世界大戦中の当時の大日本帝国についてや戦時中の日本軍の著名人についてのものでした。それらに交じり、ある一冊のノートをスタッフが発見し、私の元へ持ってきてくれました。「日記 ○○年○月~ 川西市」そうノートのタイトル欄に記されたものは、まさしく故人の「生きてきた証」そのものでした。記憶では、「○月○日○曜日 今の日本は迷走している。戦争は繰り返してはならないが、国の意思決定、行動力は当時を見習うべき。」そのような現代の日本に対しての苦言と呼べる内容のもの、またはページを分け「今後やりたいこと」欄を作成されており、それらは今から2年先、3年先、10年先までに故人がしたかったことなどが記されていました。