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遺品整理アンカーです。今回は、尼崎市での遺品整理のお話をいたします。お電話で、お見積りにきてほしいとのご連絡をいただき、ご住所を伺うと、聞き覚えのある住所でした。現地は、以前自分が住んでいた住所のすぐ近くでした。伊丹市と尼崎との、ほぼ境界線にあるその団地は、少年時代に過ごした活気とはかけ離れていました。町並み自体はそれほど大きく変わりはありませんでしたが、やはり、少子高齢社会の影響を受けているのでしょうか、日曜日だというのに、お子様の姿がほとんど見当たらないのです。少し寂しい気持ちになりながら、現地へ到着しました。インターホンを押すと、出迎えてくださったのが、今回のご依頼者様で、故人様のご長女です。お見積り中、故人様のお話をしてくださいました。お部屋に茶器が多く見られたので、訊ねてみますと、故人様は、生前、茶道をお教えになられていたそうです。そして、とても厳しい母親だったと笑顔で話してくださいました。お体を悪くされ、入院中だったのですが、お母様の意思を尊重し、ご自宅に戻って来られたそうです。ご自宅に戻ってからのお母様は、ご長女がおっしゃるには、それまでの厳しかったお母様とは、まるでお人が変わったように、明るく、そして笑い、人生を楽しんでいるようだったとお話を続けてくださいました。ある日から、縫い物をしたいとおっしゃり、ベッドから一人で移動できないお母様を哀れみ、毛糸、棒針などをお渡ししたそうです。ご長女は、入院していた病院のお医者様からは、できるだけやりたい事をさせてあげたほうが長く、元気に過ごせると聞いていたので、せめて、少しでも長く元気でいてほしいと願いました。季節が春から夏へ代わり、そして夏から秋に変わろうとする頃、お母様の体調が急変したそうです。救急車で、病院に運ばれ、お医者様からは再入院を勧められたのですが、お母様は、こうおっしゃっいました。「死ぬのなら、家で死にたい、最期のお願いだから・・・。」お母様のお気持ちを尊重し、ただし、訪問看護の条件つきで、お母様は再び、ご自宅に戻られました。ご長女によると、この頃のお母様は、前ほどの元気はなく、じっと窓側に体を向けて過ごされることが多かったそうです。季節は冬を迎え、クリスマスが近づいたある日、お母様がご長女を呼びました。お母様のもとへ言ってみると「あんたに渡したいものがあるんだけど・・・。」すると、お母様は、お布団の中から、手作りのマフラーと、セーターをお出しになったそうです。ご長女は、「あれ?もうやめたんじゃ・・・。」すると、お母様は、「あんたがお昼寝してる間に、コツコツ作ってたのよ。はい、クリスマスプレゼント、寒い日は助かるでしょ。」そうおっしゃって、お母様から、お受け取りになられたそうですが、ご長女は少し照れながら「五十超えて初めてクリスマスプレゼントもらうなんてね。」とおっしゃられたそうです。お母様は、「そうねぇ。そうだったね、家は貧乏でクリスマスとは無縁だったもんね。」とおっしゃって、「でも、これで、やり残したことは何もないわ。」と微笑されたそうです。そして、次の日の朝、お母様を起こそうと、ベッドへ行くと、眠っているように安らかに永眠されていたのです。お母様が、きっとクリスマスには渡してあげようと、どんなにつらくても、苦しくても、ご長女を想い、作られたセータ、マフラー。ご長女は「それを身につけると、母の本当の温もり、暖かさが身にしみてわかる。」そうおっしゃられました。そして「このセーターがそうなのよ。」そうおっしゃり、その袖で涙を拭っておられました。後日、作業は順調に進み、無事に終了しました。その日も、ご長女は、お母様の作られた、セーターと、マフラーを着ておられました。